ソフトウェアエンジニアとして海外で働こう!
こんにちわ。
僕は現在シンガポールで働くソフトウェアエンジニアです。
これまでに日本、インド、アメリカ、シンガポールでそれぞれソフトウェアエンジニアとして働いてきました。2カ国語を普通に話します。
エンジニアの強みは、技術と知識を自分のものにできるということです。
つまり誰もそれを取れません。自分に資産として残ります。
こういう働き方ができる職業を日本では、手に職と呼びますが、
かくいう自分はそもそも営業として自分のキャリアをスタートさせています。
大学もコンピュータサイエンスなんて出ていませんし、そんな状況からアメリカでは金融のハイボリュームトレードを開発するようなエンジニアとして7年も働き、年収にしても1500万近くもらっていました。現在はそれおも超えています。
劇的に状況を変えたわけです。
当時僕は旅行会社の一社員で、会社の資産、ビジネスモデルにのっとって給料をもらっていただけでした。当時2001年ごろ。
その後、貿易センタービルが破壊され、世界を恐怖に陥れます。またSarsが流行るなどで、旅行業界は苦境に陥りました。
僕は氷河期の卒業で、ことごとく、面接は落とされました。
そしてようやく受かった会社の社会人1年目でこの状況になったのですが、会社は経費削減をしなければならず、オフィスの電気は半分消すようになり、コピー機も必ず裏も表も使わなければならず、当然ボーナスは出ず、業界と会社に左右されるようになりました。
この状況を目の当たりにしたとき、僕が思ったことはただ一つ。
「会社に頼る人生はダメだ、自分の技術を持って自分の人生を立て直そう」
そして、その営業の会社を辞め、専門学校に行き、すぐに日本のソフトウェア会社でエンジニアとして働き始めました。
でも給料が安い、、特に今考えれば恐ろしく安いなと思います。
確か月18万円程度だったと思います。
無論、僕の状況はそんなに褒められた状況ではないし、経験も知識も浅いわけですから難しい状況は理解していますが、日本のエンジニアというのは異様に安く使われているわけです。
もちろんそれはこうして海外に場を移すことで理解できたわけですが、その当時は当たり前のことだと思っていました。
その時は特に英語ができるというわけではなく、ただ他の日本のエンジニアと同様に長時間労働と、安い給料で働いていました。
おそらく今も日本は同じような状況であり、また税金が上がった分、分がさらに悪くなったかもしれません。
現在僕はシンガポールでエンジニアの採用もしていますが、インドで働くインドのエンジニアにはUS$で5000位払っています。
それって日本のエンジニアを凌駕していますよね。
そうなんです。日本は貧乏になりました。
そこで働いていても明るい将来は期待できません。
物事が沈みゆく状況のとき、変えるのはあなたしかいません。
それは僕がワールドトレードセンターで崩れたビルを見たときにとった行動と一緒です。
僕はその状況を変える方法を知っています。
なぜならそれを行ってきたからです。
そして変えなければなりません。実際あなたが変わるのは会社、ひいては社会が変わっていくことになります。
また、その上でエンジニアとして海外で働くメリット、デメリットも共有していきたいと思います。